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レポ:『可能性しかつまっていない』 〜国際ソロプチミスト豊橋 金澤泰子氏チャリティー講演会を聴いて〜

国際ソロプチミスト豊橋さんが主催された、金澤泰子氏のチャリティー講演会へ行ってきました。2時間半の講演会は、とっても濃厚な時間で、とても素敵な講演会でした。

言わずと知れた『ダウン症の書家・金澤翔子』さんのお母様、金澤泰子さんの講演会でした。

プラットの2階まですぐに満席!700名の活客が見守る中、金澤翔子さんの席上揮毫(書のパフォーマンス)から始まりました。

シーンとした会場。一文字一文字を丁寧に描かれる翔子さんの横で、余分な墨を拭き取るお母様。今まで、二人三脚でされてこられた書道活動を垣間見ることができました。

講演は、翔子さんが生まれた32年前の時から、現在の幸せについてありありとした話をされました。『32年前のダウン症の子を出産。それも、産後52日目に宣告を受ける私は想像を絶するような地獄の中にいました。今のように世間の理解やダウン症の情報なども少ない時代、私は翔子を隠すように育てていました。』

小学校までは、普通学級に通っていた翔子さん。しかし何をやっても遅くて上手く出来ず、運動会でもいつもビリ。何をしてもビリ。しかし学校の先生は、『翔子ちゃんがいてくれるお陰でクラスのみんなが優しくなり、穏やかで落ち着いたクラスになっているのです』と仰ったそうです。泰子さんにとってその言葉はまさに福音で、『絶望の淵にいた当時の私はとても救われました。神様は、この世に必要なものしか創らない、翔子がこの世に地用とされているのは、ビリなのかもしれない、翔子と一緒にビリの人生を歩んでいこう。』そう決心をすることができたと公演されました。

 

唯心偈と般若心経に出会う

その後翔子さんが4年生になった時の担任の先生から、特別学級のある別の学校へ行ってくれと言われました。この時、泰子さんは、学校側と大喧嘩をしたそうです。そして。楽しく学校へ通っていた翔子さんを不登校にさせる日が続きました。
泰子さんは、毎日ひとり家で悩み苦しむ中、その気持ちを書にぶつけるようになり、朝から晩まで翔子さんに教えながら、唯心偈と般若心経を写経したそうです。
毎日、毎日、何度も何度も、難しい漢字ばかりの般若心経の写経は、大人でさえも慣れていないとかなりの気合が必要だと思います。しかし翔子さんは一度も「嫌だ」「やめて」などのことは言わず、書を教える泰子さんにいつも「お母様、ありがとう。」と言ったそうです。
のちに気づいたそうですが、翔子はIQなどの知性は低い一方で、極めて感受性が高い子。この時も私の苦しい胸の内を察し、自分が我慢して書を学ぶことで私を励ましてくれていたとも言われてました。そして、この時の写経を通じて、翔子さんは書の基礎だけでなく、我慢や忍耐ということを身に着けることが出来たとのことです。

唯心偈(ゆいしんげ)
この世のことは心が創るの意味が書かれている経典

般若心経
古くから般若心経の利益で病気が治るという信仰があり。新しい道を拓くときや、導きを受けたいときに唱える経典

ピュアな心の持ち主の翔子さんを書に精通しているお母様だからこそ、文字の意味や成り立ち、そしてこの言葉を言葉を選ばれたのでは無いかと思います。

 

涙の出る書を書く

翔子さんが持って生まれた特別なもの。
その1つが、『魂の純度が高い』とお母様が何度も連呼されてました。

純粋なことしか見えていない、ダウン症の性質。だからこそ、私たち健常者が、大きくなるに連れて、駆け引き、差し引き、痛み、恐れを覚える世界とは違い、ただただ純粋で誰かを喜ばせたい。笑ってもらいたい。という純真で無垢な気持ちがその書を書き上げると仰られていました。

まっすぐなことしか見えていないから『文字でいうならば、私の方がうまいとは思思いますが、構図や、バランスを考えた私の書では誰も涙を流しません。しかし、純度の高い魂で書く翔子の書には、皆足を止め、涙を流します。心が震えるのです。』

エピソードとして、翔子さんの書いた、風神雷神話をされました。
俵屋宗達の風神雷神図屏風の風神と雷神そのままの位置に書き記し、その絵を全く理解していないのに、風神雷神と大きな屏風にその配置で文字が書ける感性は、何か高次のものとつながっているようにしか見えないのですが、翔子さんはきっと書きたいままに書いたのでしょうね。

そして、『風神雷神』の書は、現在一緒に並んで飾られているそうです

 

ダウン症への偏見

21番目の染色体が1本多いときに出る症状

泰子さんは、その1本多い染色体を、『優しさ』と言われてました。そして、その優しさが多かったから、今こうして幸せになれたと。

そして大きな転機がやってきます。仕事が舞い込み、いろんなことに果敢にチャレンジする翔子さん。泰子さんは、『翔子が30歳になった時、一人暮らしをさせる。』と、周りに言っていたそうです。そして、30を迎えると、周りから『一人暮らし始めるの??』と聞かれ、頑張り屋の翔子さん、一人暮らしを始めたそうです。

一人暮らしを始めて2年。初めはすぐに音をあげると思われていた泰子さん。しかし、翔子さんはその後、本人の意思で実家へ帰ってきたことは1度もなく、毎日の食事も自炊して、楽しんで生活されているそうです。

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子よりも親が先に亡くなるのがセオリー。一人残して・・・ってことが気がかりでならなかったと思うのですが、翔子さんはその純真な心で、たくさんの人を笑顔しにながら生活している。今回の書の文字のように家族だけでなく、翔子さんは地域の人たちと周りの人たちと『共に生きる』を体現されていると思いました。

教科書通りのことしか知らない私にとって、ものすごく「障害への偏見」が強かったことを認識しました。そう、一般的に言う『可哀想』『普通とは違う』という感覚がとても強かったのです。

しかし、そうではない事を金澤親娘の二人三脚の姿を見て間違っていたと確信。
ダウン症という症状・障害を理解し、そして、何よりも本人と向き合って共に生きることが大切であり。『全く未知で、可能性しかつまっていない』という考え方に障害に対する心の壁が壊れました。

泰子さんのご苦労は計り知れないのですが、翔子さんの成長過程でぶつかる様々な出来事を、『今となれば必然な出来事ばかりだった』とおっしゃられていました。そう、物事には偶然なんて無く、必然しか無いのかもしれないと有難い毎日を過ごしているんだ!と。

 

いろんな想いが詰まってしまったから、なかなか書き上げれなかったけど、やっと書けたーーーー。

講演から2週間。

子育てに正解はないと思うし、我が子は可愛く宝だと思う。

私も、高齢出産だったけど、子どもが生まれて来てくれたことに、本当に感謝。

早く大きくなって〜ってと思う反面。手が離れると寂しくて仕方ない。

そして、笑顔さえ見れれば、ビリだろうが、なんだろうが、いいと思う時が来るかもしれない。

そして、どんな状況にあっても、我が子を信じて、見守ることを誓った講演会でした。

国際ソロプチミスト豊橋の皆様、素敵な講演会をありがとうございました。

 

Be Curious
みつだますみ

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